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Interview: 志賀理江子 - DOING NOTHING BUT STUDIO OPENについて

2023年10月08日

 

聞き手:下山彩(krautraum)

 

2015年から2021年まで、都内で自宅として借りていたアパートで小さなアートスペースをやっていました。またどこかのタイミングで場所を持ちたいなと思いつつ、今はゆるやかな準備期間のように過ごしています。そこで、この準備期間のワークインプログレスのようなものをウェブ上で記録することにしました。色んな人の運営している/していた場所について話を聞いてみたいと思っています。

何か表現がなされるための受け皿であったりそれを目撃したり、対話をしたり休んだりできるような場所。コロナ禍を経験してからそんな場所の存在が大切だとますます感じているし、周囲でもそう考える人が増えているような感触があります。

実験的な場所というのは期間限定であったり、経営が難しかったり、いつの間にか無くなったりしていることもある。現在進行形で活動している生々しい状態でなるべく出会って記録していきたい。運営する人がアーティストであってもキュレーターであっても、そのどちらでもなくても、そこはあまりこだわらずに。

 

 

志賀さんは今年の春に東京都現代美術館で行われていたTokyo Contemporary Art Award(以下TCAA)の展覧会に参加されていました。「展覧会会期中には宮城にあるスタジオでオープンスタジオをやっています」 という内容のチラシが展示室にサラッと置かれていたのを見つけて、直感を頼りに訪れてみました。入ってみると、作家のオープンスタジオと聞いて自分がイメージするものとは少し様子が違っていた。そして展示されていた膨大な資料から見てとれたのは、一作家のスタジオという枠を逸脱した、数々のユニークな活動の記録でした。

 

暑くなり始めた6月のある日、このオープンスタジオ「DOING NOTHING BUT STUDIO OPEN」について改めて志賀さんにお話を伺うため、もう一度スタジオを訪れました。

 

DOING NOTHING BUT STUDIO OPENがおこなわれていた志賀理江子のスタジオパーラー外観。かつてはパチンコ店だったという。

 

 

 

志賀理江子(以下、志賀):  こないだ香港の美術館で働いているキュレーターの人がオープンスタジオに来たんですよ。香港には今色んな弾圧がある。それが大きなうねりとなって、香港に住んでいたアーティストがイギリスやカナダ、台湾などに移住したそうなんです。その代わり本土からたくさん人が入って来ているんだけれど、色んな表現活動が自由にやれなくて厳しくなっているという現状がありつつ、すごくたくさんのオルタナティブスペースが出来ているという話をされていました。

それらのオルタナティブスペースがどうやって始まったのかというと、それこそ下山さんみたいに自分ちで、ある日突然SNSを使って情報をオープンしてやるそうなんです。 で、体を使った表現が多いんだって。パフォーマンス。それと音楽みたいなこともあると言っていたかな。とにかく、体から離れていないかんじの表現が多い。90年代のアングラみたいなものがちょっと戻って来てるんだ、と言っていました。ある日突然自分の家で、ふっと行われている。どんな方法であってもやるんだという。オフィシャルでなくても、その場その場で水が流れるみたいに、流れてそこに集まる。ふって消えて、またふって現れて、というケースがすごい増えているらしい。

場所というものをどう考えるかと言ったときに、自分ちで良くない?という選択は一つありますよね。

 

 

−たしかに自分も始めたときは、本当にやりたかったらもはや家でいいんじゃないかと思っていたかもしれない。お金もかからないし、とりあえずここでやれることやったらいいかってなりましたね。

 

 

志賀:  それが路上じゃなくて自宅だっていうところね。香港の今の状況を考えると安全性であったりとか、自宅で自分たちの表現を受け取る人の顔を見ながらやるということでもある。何をどういう風に自分たちの場所とするかって、プライベートか公共かって話でもない。自宅なんて思いっきりプライベートな場所なんだけれど、パブリックのようにして使っている。何をやるかで変わってくるよね、というところが面白いと思いました。

自分の場合、ここは店でもなければ、いきなりイベントスペースでもなければ、ただ自分のスタジオが開いているっていう状態。なので、このオープンスタジオは「DOING NOTHING BUT STUDIO OPEN」って名前にしています。笑 基本自由になんでも見てどうぞ、という。例えばよくあるシチュエーションとしては、みんなでご飯作って食べてたり、ビーズとか手芸をやっている時になぜか偶然また人が来る。ただ遊んでいるだけなのに、それも自動的にオープンスタジオの活動の一環になったり。さすがにトークとかワークショップの時は事前にお願いをするんですけど、それはちょっと気合入れたリサーチみたいなかんじですね。それとここでご飯食べる時とそんなに変わらないテンションでやれる。色々決めずに、というのがとても自分には合っているんです。

 

 

−オープンスタジオをやろうと最初に思ったきっかけは何だったんでしょうか?その当時の心境も含めて改めてお聞きしたいです。

 

 

志賀:  オープンスタジオは昔からやりたかったんです。自分が住んでいる場所が宮城のここで、この町には当然ギャラリーは無い。本屋さんも無い。私が都会に行ったときの居場所って、ギャラリーではなくて本屋さんなんですよ。ギャラリーって自分はあんまり長居できないけれど、本屋さんなら長居できる。あのパブリックな、というか開かれているかんじが好きで、本屋さんのドアがいつも開いてるあのかんじを自分のところでやるならオープンスタジオかな、というのが始まりです。それが一つ目の理由。

 

二つ目は、震災以後だったということ。震災後、被災地では伝承館がすごくたくさん出来て、そこに行くと3.11関係のことが色々わかる。もしくはその地域が震災とどのように向き合ったかが分かる。というのがあるんだけども、記憶とか、自分たちが復興の中で何を考えたのかとか、もうちょっと生々しいところを考えていく場所が欲しかった。伝承するというよりも、その場で考える。自分なりに考えるにはどうしたらいいか。国とか巨大資本の大きな復興の流れとは違うことを考えているわけで、そういうものが蓄積していく場所。来た人がそれを見れる場所。それを共有して話せる場所が自分にとって必要になってきたというのがありました。

 

三つ目は、こうやって作品制作して展覧会してという生活をしていると、展覧会やりました終わりました、やりました終わりました、の繰り返しになる。 で? ってなるんですよ。私の中では色んな積み重ねがあって次の作品につながるんだけれど、果たして次の作品につながるだけでいいのか?という問いが出てきた。色々考えて色んな人と協働してやったことが積もり積もる場所が欲しかった。そこを大きな川の流れのようにして、展示は出前と言ったらいいのかな。こっちがアクティベートされているという状態を作っておきたい。そうでないと私みたいに地方でやる人間は、大都市でやる展覧会のために人生捧げてるようなかんじが段々しんどくなってくるんですよ。長くやっていると。それよりも、今自分が住んでいるこの場所がすごく活気づいていて、ここに本流がある。色んな人が来て、そこで一緒に考えた色んなことが積もり積もって雪みたいになってる。もしも○○だったら○○かも、みたいなことを思いっきりやれるのがアートの現場だから。インスピレーションが詰まっている場所というのかな。それが開いているという状態。そうでないと苦しいというのもあったんです。地方だから特に。

 

 

−作品は展覧会の場にいきなり現れるものではないはずですよね。でも白い壁で覆われた空間に整然と作品が並んでいると、そこに至るまでの時間てなんだか切り離されてしまったように見える瞬間はたしかにあります。

 

 

志賀:  展示された作品てファイナルアンサーみたいになってしまうけど本当はそれすらも流動的だし、色々もがきながら考えてます、ということに触れる場があんまり無かった。本当は全部途中。全部道すがら。TCAAの展覧会にあたっては、こっちが本流で色々あったよ、というのを特に分かってもらいたかったので、オープンスタジオ+能動的な資料展示をやっています。もちろん展覧会もやるけれど、オープンスタジオの生々しいところと両方で蝶番みたいに補完し合っていて、初めて何か機能するようになるんじゃないか。震災後、すごくそう思うようになったんです。それでやっと自分が生きていけるというか、作家活動みたいなことに納得がいく。

 

 

−アーティストがどのように日々を営んでいるか。都市と地方との力関係が想起されるようなお話でもありましたが、志賀さんは東京に住んだご経験はあるんですか? 東京という場所は志賀さんにとってどんな存在なんでしょう。

 

 

志賀:  1、2年生で本厚木の校舎に通う大学に入学したんだけれど、半年くらいで辞めちゃったんです。そのあとロンドンの大学に行きました。だから結局東京には一度も住んだことがない。

私はけっこう東京のいいとこ取りをしてると思うんですよね。展示行ったり舞台見たり、食べたいもの食べたりして、楽しいことだけして帰る。情報と物が集まっているところにたまに行って、収集して持ち帰ってくる供給場所みたいになっている。でも実際住んだらどんなかんじかな、とは思います。

 

今住んでいる宮城の風景を見ると、視界の3分の2はもう空なんですよ。いつもそれは東京とのすごい違いだなって思う。東京に行くと空が埋まっているかんじで、スパーンて視界がひらけることが無いから、その違いをけっこう楽しんでいるところはあります。自分が生活を営むサイクルを作り出す環境みたいなもの。空とか海とか闇とか光とか。こっちにいると、それらがすごくドラマチックに日々動く。夜はほんっとうに暗いですし、そういう環境にものすごく影響を受けているので、そこに自分の何かを映し出してもいるんですよ。毎日見る空に色んなことを映し出して考えていると思う。じゃあこれが、例えば東京のような都会だったら何に自分の何かを投影するのかなと考えると、日々見る街の風景だったり、人の何かだったりするのかなと思う。だから自ずと考え方も作る作品も変わるんだろうなという気はします。

 

 

後編につづきます。