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Interview: 志賀理江子 - DOING NOTHING BUT STUDIO OPENについて(後編)

2023年10月08日

 

 

−仙台駅から車でここに向かう途中、ひたすら両側には田んぼが続いていたり先の見えにくい山道だったり、本当にこっちでいいんだろうかと度々不安になる瞬間がありました。笑 絶対気軽に立ち寄れるような立地ではないのに、偶然人が集うというシチュエーションもしかり、ここは色んな人がとても気軽にふらっと立ち寄っているような印象を受けます。例えば、北海道の雪山での生活を終えた豊嶋秀樹さんは、九州の自宅へ向けて車で南下する途中に寄って、ここでトークイベントをやられていたり。志賀さんが「ただ開いている状態」と仰る、ゆるやかな運営の中で、そうやってたまにイベントとして濃密な時間がぎゅっと凝縮して現れる。そこがまた面白いと思いました。イベントをやる際はどのように計画して実際に立ち上がっていくんですか?

 

 

志賀:  自分が興味があることをわりと緊急性を持って知りたかったりするタイミングがあって、私だけの状況でというよりは周りの状況を見て、あるテンションの流れみたいなものを読んで、じゃあやろう、と。イベントを定期的にやろうとは全く思っていないんです。定期的にドアは開けているからオープンスタジオであることで十分で、イベントをやろうとなるときは何か本当に緊急性を持っているとき。今このことをすごく話したい、聞きたい。というのがモチベーションとしては重要ですね。

あとやってて面白いと思ったのは、石巻に滞在していたミャンマーのアーティストがやって来て、この場所を見てピンときたのか、自分が日本にいる間にポエトリーリーディングをやらせてほしいって言ったんです。人が3人集まったらもうそれでいいからって言われて。3人でも2人でも1人でもやるって。ここで1週間前に何かやるって言っても、多くても10人くらいしか集まらないんですけどね。でもその内容が超素晴らしかった。だからここは何かが発生する場であるんだなと。こっちから短距離走的にガッとやることに加えて、外からも素晴らしい人が舞い込んで来たという。そんなケースもありました。

ミャンマーのアーティストによるポエトリーリーディングとトークイベントの様子。1960年代から現在までクーデターが3度起こっているという母国の現状について語られた。

 

 

−志賀さんが先ほど仰った緊急性ということが、場が立ち上がる動機の中にあるひとつ大切な要素なのかもしれないと思いました。香港のオルタナティブスペースで突発的に行われるパフォーマンスにしても、ミャンマーのアーテイストのポエトリーリーディングにしても、その人が置かれている状況や社会との関係のうえで今表現せずにはいられない、今これは声に出さなくてはいけないという瞬間がきっとある。それらは自分には想像しがたい切実さを持っていると思っています。でも一方で、日本に暮らして場所を運営するリアリティの中にも、ある緊急性を持って何かが発動するタイミングがあるんじゃないか。志賀さんの仰る緊急性というところをもう少し聞かせていただけますか。

 

 

志賀:  それこそデモなどの活動家の人たちは緊急性を持って動いていて、それとは別に長く時間をかけて映画を作って公開する人もいるし、色んな種類のタイムスパンがあっていいと思う。私の場合は、すぐに対応できる姿勢を一つ自分の中に持っておくということで、自分自身がすごくそれで救われている気がする。助成金であったり、何かしっかり予定を組んで行われる展覧会などもある。それはそれで良いんだけれど、個人でやる時はあくまで自分たちのノリとかタイミングとか、色んなことが奇跡的に重なり合うことですぐに実行できる。そうなったらもう明日にでもやれるというのは公共施設ではできないし、ミャンマーのアーティストが訪ねてきたときのように、今!っていうタイミングでも個人でやっていたら対応できる。思い立ったらすぐ形にしてみる。緊急性というよりも、思い立ったらすぐ練習するみたいなことかな。その積み重ねがいっぱいあるといい。そう思うのは、震災時に起こった数々の問題に対して全く対応できていない自分がいたからなんですよ。

その当時私は31歳でした。アーティストは自分の作品を作るということ以外に、どんな働きをしたりするのか。ユニークなことがたくさんあるって本や展覧会などで知ったりして、それなりに考えていたつもりだった。でも結局色んなことに対応できていなかったと思う。今だったらああいう風にするのに、と思うこともあるし、悔しかったんですよね。

 

例えば私が住む集落だと突然カジノの計画※が下りてきたんです。みんな生活がぐちゃぐちゃだから、もうそれに乗っていくしかないみたいな流れの中で、知らない間に署名活動が始まっていました。それでみんなが署名してしまって。もうちょっと自分がある意味での緊急性に対応することができていたら、「待って、その署名はよく考えてからしたほうがいい。」とか、そんな緊急的な現場でも言えたかもしれない。一円でも高く土地を売るしかないんだという空気の時に、「本当に土地が一円でも高く売れるのかなんて分からないからちょっと考えましょう。」とか、言えたかもしれない。そんな時は緊急性を自分が持つんじゃなくて、現実が緊急的に動いているから 「え!今?」 みたいなタイミングでやって来る。そんな時に落ち着いて対応できる準備というか訓練というか練習というか、、、しておけるんじゃないかって思います。自分のスペースで色々やったりすることで。決まったペースでしか動けないでいると、オルタナティブに対応できないんじゃないかという。

 

 

−本当に現実が緊急的に動いた時に迫られる判断。そこで柔軟な発想を生んだり、オルタナティブに対応できるための日々の積み重ねを作る。そんな背景があったんですね。

 

 

志賀:  苦肉の策ですけどね。それくらい悔しい思いをしたというのは実際あったので。日々、さまざまな試行錯誤や実験をしていれば、一つの道しかないと思った時に、「いや、もしかしたらこっちの道も行けるかもしれない」って、大胆に動けるかもしれない。

 

 

※2011年の東日本大震災直後から、被災地の一部では復興計画としてカジノ誘致運動が活発化した。カジノの計画は「エアポートリゾート構想」と名称を変えたが、その後、撤退した。

 

 

 

 

食猟師、小野寺望さんによる鹿肉解体ワークショップのアーカイブ。たくさんの子供が参加し、命を食べることの事実を目の当たりにしたという。

 

 

思考の軌跡のような走り書きも一緒に展示されていた。

 

 

スタジオ内に増設した小屋は図書室になっている。

 

 

 

志賀:  震災後に心を病んでしまった人が周りにいて、精神疾患のことを色々調べた時期があったんです。その人のことを見て、自分のことも改めて考えて。80年代とか90年代はじめくらいまでかな、本当にあなたが病んでいる根本の原因まで遡っていって、そこから治療する。当時は中井久夫や河合隼雄が、心の豊かさとしてその病を捉えて向き合っていったという時間があった。それはすごく大事な時間だったと思うんだけれど、今ってみんなが時間や何かに追われていて、そんなふうに根本まで遡っていくような丁寧な方法をとるのって、なかなか出来ないじゃないですか。自分自身を振り返ってみても、根本まで遡っていくみたいなことは自分は出来ないし、あんまり求めていないかもしれない。だとしたら、その時その時の対応で、明日をサバイブするための軽いコミュニケーションで良いんじゃないか。でもその軽さに救われるということが、ちょっとあるんじゃないかなって思うんです。その人を本当に救おうとするということではなくて、ちょっとした声がけであったりとか。それが表面的だって話ではなくて。

 

 

−ある種の軽さに救われる。場所を運営するにあたっても、その軽さというものをスタンスとして維持するということには、とても共感します。ある他者に深く深く分け入っていくということではなくて、あくまでその都度の一過性のコミュニケーション。でもそれが、解散してまたそれぞれが個人の生活に帰って行く糧のようなものになり得るんじゃないか。

 

 

志賀: 何かもし大きな災厄があった時にも、全てを元通りに戻すとか、完治を目指すのではなく、そこからずっと緩やかに回復していくというイメージをそれぞれが持って生活していくというのかな。

調子が悪くなるって波があるので、良い時もあれば悪い時もあるって思っておかないと、良いときのエッセンスを拾っていけない。ずっと悪い時のテンションで考えを進めていくと良い時も潰れちゃうから、それぞれが良いときの状態を少しでも多く作っておくという発想でもある。

また震災になぞらえて言うと「復興」という言葉がある。これだけ復興しました、完成して元通り、みたいなことを言われ続けてきた。それって結構きついわけなんですよね。緩やかに回復していくものであって、その回復の中で揺れ戻しみたいなものが時にはあって、状況が悪くなるということもあるだろう。揺れ戻しみたいなものがあった時に、これも一つの現象というかね。大丈夫って思えるかどうかが大事だなっていうふうに思います。

 

 

−「ここに本流がある」と最初に仰っていたスタジオパーラーのあり方にも呼応するものがありますね。

 

 

志賀:  そう、完成であったり完治であったり、それで終わりのような想定は最初からしない。展覧会や作品もそう。色んなことはその後も脈々と続いていくんだって、そういうことですね。

 

 

 

※取材は2023年6月当時のものです。2023年10月現在、志賀さんのスタジオパーラーは石巻市に拠点を移しています。

 

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プロフィール:

志賀理江子(しが りえこ)

1980年愛知県生まれ。チェルシー芸術大学卒業。

2008年秋より宮城県に移住し、現在も宮城県を拠点に写真・映像を軸とした作品制作を行っている。また、自身の作品制作場所を解放し、さまざまなトークやWSなどを企画するオープンスタジオの取り組みを2021年から行っている。

https://www.liekoshiga.com/