exhibition

藤川琢史「Hypopharynx」

2018年11月30日 - 2018年12月26日

金・土・日・祝日オープン 13:00-19:00 事前予約制

Hypopharynx

 

 

2021.10.20

 

 

美術であれ、音楽や文学であれ、何かしらの制作活動を続けるための生活費を捻出することに多くの芸術家は日々試行錯誤をくり返している。いつの頃からか、劇団員やバンドマンには飲食店のアルバイトを掛け持つ人が大抵いて、しかしどういうわけかそこに美術作家の姿はあまり見られないような印象があった。皆どうやってお金を稼いでいるのだろうかといつも思うが、それについて語られる場面というのはほとんどない。

 

 

藤川琢史の展示では、ある労働の経験がひとつの柱になっていた。過度な肉体労働もなく、頭を使うこともなく、定期的な薬の投与にさえ協力できれば衣食住の設備はすべて与えられたうえで高額の報酬がもらえるという理由から、収入を得ながら作品制作にかかる時間を確保できるであろうと打算的な期待を持って応募したという。しかし実際には治験薬の副作用により頻繁に起こる倦怠感や睡魔になやまされ、充実した時間を獲得すること自体そもそも困難な環境だということに後々気づくことになる。その一部始終をすベて包含したような気だるさをともなって、打ち捨てられたように部屋の奥で転がる白い腕は、スターウォーズの主人公、ルーク・スカイウォーカーが腕を切られるシーンから着想を得ているという。実際に作家自身から型取られた石膏製の腕は、集団の中へ同化することで明け渡した身体の比喩であり、アイデンティティの喪失に近い虚無感を想起させる。

その腕を取り囲むようにそこかしこに点在する写真にうつるのは、色で分けられた各自のコップ、番号を与えられ、同じ服を着た同僚たちの姿だ。ここで写真は撮影者と被写体の関係が見えてくるものでも、場のドキュメンテーションでもなく、その渦中にいる作家自身を相対化する写し鏡のような存在となっている。管理されたシステムのもとで匿名化された人々が人生ゲームを楽しむさまは、現実と虚構の入れ子構造を生みながら、自嘲するようにカメラを向ける作家の姿を想像させもする。

そしてこの展示を支えているもうひとつのレイヤーとして蚊の存在がある。壁に叩きつけた蚊の死骸からにじみ出る血痕に作家が着目したのは、自分の一部が体からも意識からも離れ、いつの間にかまったく別の組織体系に組み込まれていたことを目の当たりにした不気味さにあったという。タイトルに掲げた「Hypopharynx」という単語には下咽頭の意味がある。蚊にとって下咽頭は血を吸う際に、血が固まらないよう唾液を人の体内に注入するパイプの役割を持つ部位である。血をうばわれ、代わりに注入された唾液にかゆみを感じマラリアを発症した人びとは、かつて特効薬としてトニックウォーターを服用した。しかし過剰摂取によって視力や聴力を低下させるという恐ろしい副作用も確認されていたようだ。会場では作家が来場者にトニックウォーターを振る舞うことで、ふたつの異なるスケールによる経験の接ぎ目をつくり、空間全体に円環的な作用をもたらす。と同時に、映像の中の男は夜中じゅう耳元を飛ぶ蚊に悩まされ続けるのだ。

リスクの代償に望みをかけることが最善であるのかどうかは今はまだわからない。 人びとがやり過ごすための抜け道だと思っているものは、必ずしもそうではなく、もしかしたら、抜け道をさがす方法をさがすことこそが、私たちには今必要なことかもしれないのだ。


infomation

この度、krautraum(クラウトラウム)では、藤川琢史個展「Hypopharynx」を開催いたします。

タイトルの〝Hypopharynx〟は、「下咽頭」を意味している。下咽頭は蚊が血を吸う際、対象に唾液を注入するパイプとなる部位であり、また人間においては声帯が位置し、食道へとつながる入り口部分を指してもいる。いずれも体の内と外をつなぐ、いわば中間地帯にあたる場所だ。

壁に叩きつけた蚊の死骸からにじみ出る血痕に作家が着目したのは、自分の一部が体からも意識からも離れ、いつの間にかまったく別の組織体系に組み込まれていたことを目の当たりにする不気味さにあったという。体の外に出てしまったものは自分の意志ではもはやどうにもならなず、私たちは日々のさまざまな営みの中でもその歯がゆさや行き場のない空しさに、どうにか辻褄を合わせながら受け入れていこうとする。

作品は、そうした状況に対するささやかな抵抗としての抜け道を探る、ある人間の姿を描く。彼は何度も迂回し失敗を繰り返し、結局のところは外の世界と折り合いのつかない、いびつさを抱えることになる。

 

自分の意識のありようと置かれた状況との間。まだ中間地帯にいるはずの、完全に血が奪われてしまう前、あるいは声になる前の声。あともう少しだけ冷静に、確かな感触を得ながらそれらを見つめることが、私たちにはできないだろうか。

 

藤川琢史 (ふじかわたかし)

1987年生まれ。東京造形大学美術学部絵画領域専攻卒業。近年の主な発表に「5…10…20…30…36…43」(blanClass、横浜、2016)、「scales(仮)」(blanClass、横浜、2015)、CAMP「4月展」(BY APPOINTMENT ONLY、東京、2016))、CAMP「6月展」(路地と人、東京、2016)。

 

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